私が医師になった昭和晩年は、PACSなどと言った気の利いた装置はなく、CTをフィルムに焼いて読影を行っていた。ちなみに、大学病院でもMRIはほとんど装備されていない時代である。夕方になると30cm近くにもなろうかとするCTフィルムの山(のように見えた)を、「今日の分です」と言って、T技師が読影室に持って来てくださるのが若手の放射線科医にとっては恐怖であった。「今日も、今日の内には帰れないな」と、観念したものである。当時、妙に中途半端な7mm厚スライスが「発明」されたのも、フィルムは一人何枚までと言った保険上の制約があったためだったと記憶している。
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