私は1989年に島根医科大学を卒業して、そのまま放射線科に入局した。当時は、卒業生のうち島根県に残る者が30数人で、大学の特定の診療科での研修を選ぶものが多かったが、基礎医学講座に入る者も含まれていた。
その後、関西、関東とさまざまな施設で勤務した後、2022年8月に母校に戻ってみると、その年の卒業生の内、50数人が県内に残ると聞き安堵したが、大学に残る初期研修医は10数人であった。どの診療科にとっても、人は財産であり、人がいなければ何もできない。
ここでは、医学部生や研修医の進路選択に影響する要因や、研修医の勧誘、放射線診断医を目指す専攻医への対応等について考えを述べる。
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